約 12,491 件
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/715.html
バジュン 列伝 魏の天水太守。 【演義】 227年、諸葛亮率いる蜀の北伐軍が来襲すると、姜維の計略を用いて蜀軍を撃退する。しかし、諸葛亮の計略で姜維が蜀軍に降伏すると抵抗しきれず、夏侯楙と共に羌族の下へ逃れた。 【正史】 姜維、梁緒、尹賞、梁虔らと領内を巡察中に、諸葛亮の北伐軍来襲の報を受ける。近隣の諸郡が蜀軍に呼応したと聞いて、姜維らも信じられなくなり、夜半に単独で逃亡。姜維らが追ってきても城門を閉ざしたため、行き場を失った姜維らは蜀軍に降伏した。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 38 52 31 51 48 220 90 121 順位 534 421 592 416 507 571 492 559 偏差値 41.3 48.7 36.4 47.5 44.0 39.8 44.9 39.3 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C C C B C C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 38 28 36 31 35 27 48 30 36 23 36 25 順位 433 535 434 531 442 532 400 520 442 534 436 538 偏差値 46.5 40.8 46.4 40.9 46.8 40.7 49.1 42.4 46.8 40.9 47.2 40.8 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 19 涼州 任意 現状維持 重視 2/5 2/5 2/3 196 215 260(65歳) 自然死 小心 小心 普通 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 時節 ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 馬遵が親愛する武将 なし 馬遵が嫌悪する武将 なし シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 - 未登場 天水 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 - 未登場 天水 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 - 未登場 天水 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 5歳 未登場 天水 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 12歳 未登場 天水 - - - 0 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 16歳 未登場 天水 - - - 0 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 30歳 一般 天水 曹丕 97 破賊校尉 4000 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 未発見 天水 - - - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 3歳 未登場 天水 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 8歳 未登場 天水 - - - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 22歳 一般 天水 曹操 97 - 2000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 - 未登場 天水 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 - 未登場 天水 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 天水 - - - 0 - - 相当人材が不足している勢力以外では役立たず。 後方都市に放り込んでもいいが、敵に拾わせて軍を率いてもらえば楽に倒せておすすめ。 -- (名無しさん) 2012-04-25 20 32 49 演義より正史の方が酷いことになってる珍しい魏の人です。 演義では諸葛亮にしてやられた人みたいな感じなのに、実際は猜疑心の強い無能者。 -- (名無しさん) 2012-09-16 22 33 25 俺が好きな武将 -- (grbity) 2015-01-27 21 10 28 では↑は知力30ということで -- (名無しさん) 2015-10-01 21 42 37 モブ -- (名無しさん) 2021-09-25 19 51 04 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/135.html
相性 武将名 親愛 武将名 解説 嫌悪 29 満寵 毛玠 演義では劉曄から推挙をされた満寵と呂虔は新たに毛玠を推挙している。 劉曄 呂虔 29 毛玠 満寵 満寵と呂虔の二人に推挙された。 呂虔 60 孟獲 祝融 夫婦。共に蜀軍と対峙する。途中で罠に掛かって捕らえられてしまう。その後、孟獲の申し出により人質交換として自軍に戻される。 44 孟達 夏侯尚 親友。桓階・夏侯尚が亡くなると降将である孟達は不安になり今度は呉と通じようとする。 桓階 張松 友人。劉備を益州の新たな君主として迎えようと共に画策する。 法正 李厳 友人。劉備を裏切り魏に寝返った後、蜀に侵攻するも友人である李厳と対峙することになり戦わず退却している。 申儀 不仲。孟達と申儀とは仲が悪かった為、申儀により孟達の叛意は曹叡に密告された。 申耽 演義では魏を裏切ろうとした孟達を裏切る。 劉封 対立。孟達の軍楽隊を劉封が没収する事件が記録に残っている。 53 楊懐 高沛 同僚。共に劉璋配下の名将で白水関(演義では涪水関)を守備した。 61 楊儀 諸葛亮 丞相府の幕僚の筆頭。狭量で後継者には選ばれなかった。 魏延 不仲。軍議の場で両者が言い合いになった際、魏延が楊儀を脅して楊儀が恐れて泣くような事もあった。 劉巴 同僚。喧嘩をして共に罷免された。 31 羊祜 陸抗 陸羊之交。敵ながら互いを認め合う仲だった。 杜預 病で引退する羊祜は後任として杜預を推挙する。 43 楊修 孔融 曹操の配下には孔融と楊修しか人材がいないと評された。 禰衡 曹植 学問の先生。「答教」という教科書を用いて曹魏政権の政治的問題を教える。後継問題にも関わる程、曹植に肩入れをした。 張松 演義では蜀より訪れた張松を接待してその才を認める。 14 楊柏 馬超 演義で張魯が馬超に娘を娶らせようとすると、「馬超が妻子を失ったのは自業自得です。そのような人物に娘を娶らせてよいのでしょうか」と反対した為、取り止めている。後に馬超が劉備に降伏すると監視役だった楊柏は手土産代わりに殺されている。 21 楊阜 馬超 敵対。一族や上司である韋康を殺害されている。
https://w.atwiki.jp/sinnerei/pages/2263.html
【作品名】封神演義 【ジャンル】漫画 【名前】太乙真人 【属性】崑崙十二仙 【年齢】310歳よりは年上 【長所】崑崙十二仙の中で一番出番が多い 【短所】頭脳担当なので戦闘能力はおそらく崑崙十二仙の中で一番弱い 【備考】「300年ぶりだっけ?」と発言し、仙人は不老不死のため時間的感覚がうすいと解説されている つまりこの時点で300年は生きている 第1回の最後に「太公望が封神を終えるのはこれより十数年も先になる」と地の文で書かれてる その第1回から1年もしないであろう内の初期の段階で倒された王貴人が復活するのに「数年間」という台詞がある 十数年を12年くらい、数年を2年くらいだとして、王貴人が復活した時点から封神計画が完了する最終話まであと10年 太乙真人が初登場して上記の発言をしたのは王貴人が復活する前なのであと10年足して、最終話は310歳は越えている vol.4 封神演義 1 (ジャンプコミックスDIGITAL) 封神演義 完全版 全18巻 完結セット (ジャンプ・コミックス)
https://w.atwiki.jp/steppersstop/pages/131.html
ポーン氏によるフィラデルフィア演義の外伝小説。 関連 159人の願いと幻想~フィラデルフィア演義
https://w.atwiki.jp/seiyu-coversong/pages/1197.html
やまぎし いさお カバー曲一覧 曲名 収録・音源 他ボーカリスト WILL 仙界伝封神演義 歌宴II 千葉進歩,優希比呂 陽のあたる場所 仙界伝封神演義 歌宴II 千葉進歩,松本梨香,宮田幸季,優希比呂
https://w.atwiki.jp/seiyu-coversong/pages/2616.html
原曲・米倉千尋 作詞作曲・米倉千尋、編曲・見良津健雄 TVアニメ「仙界伝 封神演義」ED曲。 【登録タグ 1999年の楽曲 J-POP アニソン 仙界伝 封神演義 米倉千尋】 カバーした声優 梶裕貴
https://w.atwiki.jp/niconicomugen/pages/1463.html
「あ!」 徐晃(じょこう、Xu Huang(シー・フアン)169年 -227年)は、 後漢末期から三国時代の魏にかけて生きた武将で、 三国志の時代において活躍した。 字(あざな)は公明(こうめい、gong ming(ゴンミン))。 徐蓋の父であり、徐覇の祖父。河東郡楊県(現山西省洪洞県南部)出身。 『正史』と後の小説作品『三国志演義』とで人物像が大きく異なる人物。 『正史』では叩き上げだが武将としてトップクラスの戦術に長けた知将として描かれており、 間者を使った情報収集や、常に敗戦時の対策を念頭に置いて戦いを進めるなど堅実な戦い方を行った。 その一方で好機と見るや、配下に食事の暇も与えないほどの猛烈な追撃を行う事もあったという。 また武功を挙げても奢る素振りは見せず、部下には親身に接したために人望が厚かったと伝えられている。 ただし上司にはやや弱いらしく、戦闘を曹操に止められていたにも拘らず、血気に逸る曹洪を止めきれず戦闘をし大敗したりもしている。 この敗戦の責任の大半は曹洪ではあるが、君主の命に従えきれなかった徐晃にも責任はあるだろう。 この時の曹操の怒りは凄まじく、徐晃はおろか従兄弟である曹洪ですら死罪となる所だった。 『演義』では少々短気な性格ながらも、大斧を愛用する怪力の武将として登場する。 この大斧は徐晃のシンボルとして捉えられており、後の彼をモデルとしたキャラクターの多くが大斧使いとして描かれている。 樊城の戦い(219年)においての一騎打ちでは関羽と互角の戦いを繰り広げ、結果退けたという武勇伝を持つ。 ……当時、どちらも50代以上だと思われるのに元気な事で。 ちなみに「関羽とは同郷の友」という設定は、毛宗崗による改訂版(毛宗崗本)から付け加えられたもの (ただし史書でも蜀志「関羽伝」が引く『蜀記』によれば両者は旧知であったとされている)。 数ある『演義』の中で決定版とされる毛宗崗本では、徐晃に関する追加・改変は他にも存在するが、ここでは割愛する。*1 『演義』の失敗談としては漢中を巡る蜀との戦争(217~219年)において、 漢水の戦いにて背水の陣を敷くも黄忠・趙雲・諸葛亮に敗北。 この際に仲違いをしていた王平に罪を擦り付けようとするが、王平はそれを察知して蜀に帰順。 その後、王平は蜀の北伐において大活躍をし、諸葛亮の死後は蜀の軍事の中核の一人と呼べるほどにまで至る。 魏にとってかなり厄介な敵を作り出す原因となった。 ちなみに『正史』と『演義』では死に方が違う人物の一人。 『正史』では関羽の死から7年後の227年に病没しているが、 『演義』では1年延命され、孟達の反乱時に彼に眉間を射抜かれて死亡する。*2 同じく関羽の死に関わった呂蒙も『正史』は病死だったが、 『演義』では関羽の亡霊の呪いにより狂死する事になった。 関羽パワー(というか関羽信仰心)恐るべしと言わざるを得ない。 格闘ゲームにおける徐晃 1993年に台湾の「熊猫軟體股扮有限公司(Panda Entertainment)」によって制作されたPCゲーム『SangoFighter(正式名『三國志 武將爭霸』)』、 および1995年に発売された続編の『SangoFighter2(『武將爭覇2』)』に登場している。 キャラとしては演義版に近く、自慢の大斧を振り回して攻撃する。 リーチが長めで必殺技は連続ヒットして相手の体力をガリガリ削っていくので、中々の強さを持つ。 MUGENにおける徐晃 『武將爭覇2』の韓国語版を元に、General Chicken氏が製作したものが存在。 残念ながら代理公開先であった海外サイト「Mugen Storehouse」は消滅してしまったが、 後述するolt-EDEN氏の外部AIに同梱されているため、現在も入手可能。 よくポトレのハングルから韓国ゲーと勘違いされるが、これは氏がキャラ製作の際に韓国語版を使用したためで、 上記の通り台湾ゲーであり、元ゲーのポトレでは漢字で「徐晃(台湾は繁体字を使用)」と表示される。 ニコニコではいくつかのトーナメントに出場しているが、 中でも知名度を上げた超巨大タッグトーナメントでは肉体派魔法少女と前衛後衛に分かれた優れた連携を見せ活躍した。 大斧を振り回しながら宙を舞うその姿から、コーエーの『無双OROCHI』における、 徐晃のジャンプチャージ攻撃バグを想起した人々により「ジョコプター」の異名を与えられ、 勝利時のセリフが「あ!」と叫ぶだけ、というインパクトから勝利時には「あ!」コメントが絶えない。 語呂がいいのか「ジョコタン」という某アイドルと似た愛称で呼ばれてもいる。 これらのあだ名は(『真・三國無双』シリーズの)徐晃ファンの間では以前から使われていたものであり(JCのジョコプター自体の初出は『4』から)、 MUGENでの愛称もそちらから派生したものだと思われる。 AIはデフォルトで搭載されている他、前述の通りolt-EDEN氏が本体同梱で外部AIを公開している。 想定ランクは強~凶下位との事。 プレイヤー操作(4 00~) 参考:『無双OROCHI』の徐晃JCバグ | \ / ,.-'⌒ヽ, /⌒\ ,.‐、,ノ⌒ヽ_ ノ ヽ、 ― ( ゚ ∀ ゚ ) ― ,ノ ノ ヽ__ (´ ,ノヽ ) \_/ (´ (⌒´ _,.-――' ,.-' (´ `)`ー-、/ ノ⌒ヽ、 `ー-―'´ (´ ,ヽ、 (⌒ ヽ、( ,;ヽ `ー-'´ ⌒'ー、,,,,,,,,..,,.-' ̄ ̄ `ー'´ ´ 出場大会 + 一覧 MUGEN∞動画戯作トーナメント ゲージMAXタッグトーナメント【ゲジマユ2】 ゲージMAXシングルトーナメント【Finalゲジマユ】 狭小住宅トーナメント 作品別マイナーキャラ大会 何番煎じ目かの男女タッグトーナメント mugen無双 三国志軍団 vs ワールドヒーローズ軍団 オールスターゲージ増々トーナメント ほぼ作品別トーナメント【総勢128チーム】 風雲!タッグトーナメント ゲージ増々タッグトーナメント オシャレは勝つ!MUGENファッションショー MUGEN祭 大盛りシングルトーナメント 大規模!作品別 成長ランセレサバイバルバトル 小規模適当区別成長ランセレサバイバルバトル 【MUGEN大祭】特盛りシングルトーナメント 削除済み 新生男女タッグトーナメントII【ババァ】 凍結 陣取り合戦TAG 出演ストーリー 戦え!爆炎少女ヒロ プレイヤー操作 ランダムセレクトでサバイバルは制覇できるのかー(part34操作キャラ) *1 『演義』の改訂に関する徐晃以外の特筆事項は曹操の扱いだろう。 『三国志演義』における曹操は、『正史』の要素を取り入れた結果、 実は本家中国においても当初は悪役ながらも魅力のある大人物として描かれていた。 ただこのキャラクター像が当時の読者に受けなかったのか、その後時代を下って改訂されるにつれて「ヴィラン」としての描写が薄れ、 毛宗崗本系統になる頃には「ヒール」にまで格が下がった……という悲しい凋落を辿っている (まあこれでも正史曹操の要素がほぼ無いただの悪人として描かれていた民間創作時代と比べれば待遇は大いに向上しているが)。 一方、毛宗崗本以前に出版された李卓吾本ではこの点がまだ色濃く残っており、日本ではこの李卓吾本系統の日本語訳が江戸時代に流通。 そして昭和時代にこれを基に吉川英治が執筆した『三国志』が広く読まれた事により、日本における曹操ファンの獲得に一役買った。 *2 その後、孟達の反乱は司馬懿にあっさり鎮圧されている。 元々『三国志演義』は古くからあった蜀漢正統論に基づく民間の説話や講談などの流れを汲んだ通俗歴史小説(一般民衆向けの歴史小説)で、 徐晃は関羽の死の原因の一つを作ったと言える事もあり、現代ではここで徐晃を出した事に疑問を呈される事も……。 とはいえ、『演義』は教養のある士大夫(知識人)向けの史書ではなく、上述したように一般民衆向けの歴史小説。 当時のバカ大衆に好まれるのが史実の淡々としたお堅い記録よりも分かりやすいお話、 つまり勧善懲悪の物語であるのも、よくよく考えてみれば当然の事だろう。 + 『三国志演義』の成立 元を正せば魏と西晋を経た東晋の時代より「蜀漢正統論」が起こって以来、 遅くとも唐代(7世紀~9世紀初)から蜀漢を主人公とする説話や講談が存在していた。 折しも劉備が漢王朝の後継を自称していた事や劉備・関羽・張飛・諸葛亮ら蜀の人物の悲劇的要素、 その漢王朝を実質簒奪したも同然だった曹操の悪評が(強調・脚色もされて)伝わっていて、 諸々の時代背景的にも劉備達に同情が引かれるのは無理も無かった。 だからこそ『演義』の前身となる『三国志平話』などのような、 曹操やその配下達が強大で邪悪な魔王とその手先、劉備達が義と仁徳に篤いヒーローとして描かれ、 現実離れで荒唐無稽な設定や展開も多い民間創作が広く好まれるという事情があった。 そもそも当時の中国で小説は一昔前の漫画やアメコミと同様「そんなものなんて大衆の読み物」と認識されていたのだ。 そんな民間創作を、元代末期~明代初期辺りに羅漢中ら士大夫層が『正史』を骨格に再構成・洗練・編集し、 「大衆の読み物」から「知識人が読むに堪える」小説に仕上げたのが『三国志演義』。 細かい所まで歴史書を読み込まれた上で書かれた『演義』はそれまでの作品と比較すると、 余りにも現実離れが過ぎる超常現象は極力削られているし (最大の見せ場として知られる「赤壁の戦い」で諸葛亮が東南の風を吹かせるべく祭壇で祈祷した話も、 本当に妖術だったとまでは書かれてはなく、諸葛亮がその風の吹く時期を知っていてパフォーマンスをしたと解釈もできる)、 同小説で関公と称えられている関羽も性格的な欠点は包み隠さず書かれているし、 蜀以外の人物の扱いもある程度は良くなっていると言える。 徐晃の正史に無いオリジナルの失敗談や死に様の改変も、民間創作時代と比べればむしろマシな方である。 呂蒙にしてもこれは当てはまり、史実と変わらない人物として描かれている。 ……まあそれ故に、ホラー染みた末路が目立つわけでもあるのだが。 『三国志平話』では呪い殺されず長生きして夷陵の戦いにも参加していた?聞こえんなぁ 無論、あくまで民間説話ベースなので物語の構成としては蜀漢正統論が基本であり、 前述した蜀以外の人物の描写についても程度の差や逆に悪化した例もあるし、 更に毛宗崗など各改訂者の主観や信条によってさじ加減が変わったりもする。 上に挙げた呂蒙の最期や、史実(249年没)と違って夷陵の戦い(222年)で戦死した事になっている朱然はその最たる例であろう。 現代においても徐晃と関羽の友人設定に対し、 「関羽が敵味方問わず一目置かれる人物とするための演出で、徐晃が敵役である魏の武将だから」 と、冷めた見方を持たれる事もあったようだ。 だが、これは何も羅貫中やその他編者達が魏をこき下ろそうとしたり、呉を軽視したりしたわけではない。 『演義』は「通俗小説(分かりやすい小説)」というジャンルとして大衆層に膾炙する必要があり、 また、正史のように様々な人物に注目していく事はジャンル上困難である。 その上で、より多くの人々に感情移入してもらおうと思えば、 当時の儒教的価値観としても判官贔屓的にも、蜀が中心となるのは仕方の無い事であったと思われる (それ以前に当時の中国で、宦官の息子が様々な才に恵まれて軍閥化していく物語は受けが悪いだろうし、 兄貴の残した領土の専守に殆ど明け暮れつつ酒浸りになって老害化した君主の物語も長編としてはつまらないだろう)。 なんだかんだ言われつつも『演義』は、それまでの荒唐無稽な民間の説話や講談などとは一線を画す、 当時としては画期的なほどに「史実に即した」小説とすら言えるのだ。 また、『正史』では病死した魏の徐晃や張遼、呉の呂蒙や太史慈などが『演義』で(延命してまで)死に様を改変されたのも、 当時の大衆向けに「蜀贔屓」需要を満たしつつ(張遼と太史慈は異なるが)、 「豪傑を地味に終わらせず劇的な演出に」という物語を盛り上げるための結果(目を引く展開需要)だとすれば、 孟達の反乱に徐晃が駆り出された事にも一定の必要性はあったのかもしれない (現に漫画『蒼天航路』でも『演義』準拠またはオリジナルの最期を迎えた人物が複数存在する)。 華々しく活躍した英雄がひっそりと病死するのはどこか寂しいし、悲壮な花道を用意されたおかげで読者の印象に残ったと言えるしね。 (以上、ニコニコ大百科、アニヲタWiki、Wikipediaを参考に一部引用・改稿)
https://w.atwiki.jp/sacredfalcon/pages/18.html
<三国志(正史:史実)とは?> 演義とは異なり、魏王朝(曹魏)を主体とした書物であり正式な歴史書である。 もっとも演義はこの書物をベースとしてあり、全てが全てフィクションというわけではない。 特徴というべきところは蜀が主体の演義と反して魏が主体で意外なことにも 蜀に関する事は少ない。 三国志 著者 『陳寿 承祚』(233~297) 巴西郡安漢県の人。最初は蜀に仕えていてた しかしこの当時 劉禅に取り入っていた黄皓に左遷されてしまい263年に蜀が 滅びるとともに流浪の人となってしまう。 それから2年後 魏が西晋に滅ぼされた後に 西晋の皇帝・司馬炎に能力を買われ 西晋に出仕、その後 高官である張華に認められ、史料編纂官となり 呉が西晋に降伏して統一を果たした280年に『三国志』の編纂にとりかかり 魏書30巻 蜀書15巻 呉書20巻を書き上げた。
https://w.atwiki.jp/ymeconomy/pages/101.html
2008年より正式サービスが開始された、ゲームヤロウが運営する『三国志演義』を題材としたMMOゲームは? →三国志豪傑伝 『三国志演義』で蜀軍が南蛮遠征の際に戦ったとされる身長一丈二尺の大怪人は? →兀突骨 中国・三国時代の英雄の1人で西暦221年に蜀を建国しその初代皇帝となったのは? →劉備玄徳 見事なあごひげをたくわえていたことから付けられた中国の三国時代に活躍した武将・関羽のニックネームは? →美髯公 規律のためやむを得ず泣く泣く部下を処罰することを三国志の故事から何という? →泣いて馬謖を斬る 234年に、中国・三国時代の名軍師・諸葛亮が病没した陝西省に広がる台地は? →五丈原 『三国志』でおなじみの武将曹操の幼名から名づけられた居酒屋チェーンは? →KICHIRI 休、生、傷、社、景、死、驚、開の8つの門からなる『三国志演義』で、魏の武将・曹仁が敷いた戦陣は? →八門金鎖の陣
https://w.atwiki.jp/ymeconomy/pages/440.html
三国志の一覧に戻る 問題文 答え 選択語群 1991年にテレビ東京系でTVアニメ化されたこともある漫画『三国志』の作者は? 横山光輝 『三国志演義』において名軍師・諸葛亮が初めて蜀軍の指揮をとったとされる戦いは「○○○の戦い」? 博望坡 陽 望 平 博 坡 関 『董卓討つべし』『呂伯奢』など『三国志』を題材とした楽曲で知られるテクノアーティストは「○○○○三国志」? おもしろ 諸葛亮が書いた「出師の表」の冒頭部分に出てくる絶体絶命の状態であることを意味する言葉は? 危急存亡 第1回菊池寛賞の受賞者としても知られる、小説『三国志』『宮本武蔵』で有名な作家は? 吉川英治 中国の三国時代に劉備が諸葛亮を軍師として迎え入れるため、彼の庵に何度も出向いたことを何という? 三顧の礼